鎮魂 東京大空襲 一般市民が10万人死亡した無差別爆撃への憤りと赦し

By L男








 鎭   魂 


東 京 大 空 襲










一般市民が10万人死亡したB29の焼夷弾無差別爆撃は、幼い子供や女性を最も多く死なせたという。

幼い子と若い母、少年少女老人が大量にその犠牲となり、親兄弟が皆死んだ沢山の戦災孤児も生む。

炭化した日本の子供や女性の遺骸の写真を見れば、昔の人も現代の人もきっと憤(いきどお)っていることでしょう。無論自分達も右に同じです。

帝国政府や陸軍が悪い、と言ってみる。でもアメリカ陸軍航空軍等々が何年も念入りに実験研究を重ねて事に及んだ無差別爆撃が、この周到に計画された東京大空襲なのであった。

その"憤り"についてはこの記事の後半部、かなり下段の方で再度色々と考えてみたいと思います。






昭和20(1945)年3月10日の
東京大空襲でやられた浅草。
石川光陽氏の撮影。
焼けた淺草國際劇場を北に見る。
《 少々拡大可也 》
同年3月10日未明、
東京大空襲下町方向の模様。
おそらく東方社技師の撮影、
空襲開始すぐの段階と思われる。






帝都東京の下町は当時の中心地。今日以上に人口が密集し、早春の真夜中の劫火(ごうか)の下。

焼夷弾を満載し低空をB29が単機連続侵入、早春の嵐吹き荒(すさ)ぶ下町に火をつけて廻(まわ)る。



◉東部軍管区情報(関東甲信越)空襲警報
   ▼

空襲警報 | NHK名作選(動画他)

《 空襲警報NHK名作選(動画他) か www2.nhk.or.jp か サムネイル写真 のいづれかをクリック 》

▲空襲警報参考by日本放送協会



その中に、沢山の幼児や学童がいた。数万という幼い子供が猛火に焼かれ機銃掃射されて死んだ。

隅田川や防火用水などでの溺死凍死、猛火に急速に酸素を奪われて窒息でも、沢山死んだ。




狩野光男画「浅草側から見た言問橋炎上」
言問橋附近では約7000人が死亡という。
《拡大可》





東京大空襲最小限の情報


少國民決意の歌
1945(昭和20)年1月發賣
Kouhaku Tuukawa氏提供



空襲された日時場所等


■1945(昭和20)年3月10日■
3月9日から10日に変わった直後の真夜中0時08分から02時32分まで被空襲。B29が去っても超大火災は延々燃え続ける。

3月10日は陸軍記念日。
記念日と強風の為、狙われた。


■東京の下町地域が中心■
(東京35区制当時名で)本所区、深川区、向島区、城東区、浅草区、下谷区、日本橋区等々々を中心に超大火災。

大東京35区参考図
《 微量拡大出来ます 》

寒の戻りで風速15メートル前後の強風が吹き荒れる肌寒い日だった為、すぐ猛火に。
大火災で火災旋風が発生す。


◦3月9日22時半 警戒警報發令
◦同22時50分頃 警戒警報解除
◦3月10日0時08分 大空襲開始
◦同0時15分  空襲警報發令


(こうむ)りたる損害


■死者■

約78,700人 (終戦直後)

約83,000人~約10万人 (推定)


■負傷者■

約42,400人 (終戦直後)

約40,000人 (1953年東京都戦災史)


■焼失家屋■

約272,200戸 (終戦直後)

約268,000戸 (同上戦災史)


■罹災者■

約1,500,000人 (終戦直後)

約1,008,000人 (同上戦災史)


■焼失面積■

約41㎢ (平方キロメートル)

◇面積参考◇ [千代田区11.66㎢]+[中央区10.21㎢]+[港区20.37㎢]=42.24㎢ (東京都HPヨリ)


◇(終戦直後)の記載あるは、JACAR(Ref.C15011324800)防衛省防衛研究所蔵 「焼夷攻撃の効果・高嶋少将史料」に拠る。

◇死者数の(推定)の幅は、死者約83,000人+(行方不明者)+調査前遺族既引取数推定=死者約10万人と思われる。



B29出撃機数


○325機 (wiki日本語版)
○334機 (wiki英語版)


B29投弾機数


○279機 (wiki日本語版英語両版)




B29の帝都侵入高度


○高度約1500m前後の超低空
○高度約2800m前後の低空

2つの高度帯から侵入した模様。
(wikiドイツ語版)




B29焼夷弾投下量


○1,783t (wiki日本語版)
○1,665t (wiki英語版)




B29の投下せる焼夷弾


○M-69焼夷弾
M69 Incendiary Bomb
六角形 長さ51cm
直径7.6cm重量2.7kg
これを38本集束し、E-46親子爆弾(クラスター)1発として製造した。

○E-46親子爆弾
E46 chemical incendiary bombs
B29からこれをバラバラバラと投下すると上空約700mでパカッと割れて中から38本のM-69焼夷弾が飛び出し垂直に落下してくる。

E-46親子爆弾?組立てとM-69焼夷弾
(米戦時資料) AIRBOYD氏提供

○M-47焼夷弾(爆弾)
M47 Incendiary bomb
長さ1.31m 直径20.6cm
重量45kg(約100ポンド)
中身はゼリー状のガソリンと白リン、マグネシウム及びテトリル等。千℃以上の高温で長い時間激しく燃焼する。中身がマスタードガス等の毒ガスタイプもあった。

M47焼夷弾参考画
《 拡大は出来ません 》





陸海軍邀(よう)撃機数他


⇨陸軍42機出撃

第10飛行師団(調布飛行場)隷下の
◦飛行第二十三戦隊(一式戦隼)出撃
◦第五十三戦隊(二式複戦屠龍)出撃
◦第七十戦隊(二式単戦鍾馗)出撃


⇨海軍4機出撃

第三〇二航空隊(厚木飛行場)の
◦(双発夜間戦闘機)月光出撃



高射砲門数他


⇨高射砲約550門
高射第1師団(東京と南関東)が戦闘




B29を撃墜(故障含)機数他


○撃墜14機
○撃破
(損傷)42機


■関連せる記事へのリンク■

敵機などを頭上に見ながら、それに殺された非戦闘員である銃後国民の犠牲者は‥果たして『二度と戦争に関わりませんから』という仇の感情を放棄した言葉を‥遺志とされているのだろうか‥。『民間人の非業な死』に対して、再び臥薪嘗胆していつの日かの仇討を遂げる機会は永久に失われた。


●東京大空襲当日の経過


昔より数多くの人が、東京大空襲について書いているし、"これ" を全然知らないという国民諸兄姉もまた少数派と思うのでこの際、経過の記述は控えます。

代わりに、1978(昭和53)年放送のNHK特集東京大空襲の途中部分からを載せて、経過に代えます。

生き延び"てしまった"下町の人達、著名な石川光陽氏や高射砲大隊の中隊長、警視庁消防部隊員等々々の大事な証言、敵だったカーチス・ルメイにもインタビューを試みるなど今とは違う貴重なドキュメンタリー。

そういう"現役"だった人物が存命どころか普通に元気で映っており、後年の不快な思想(の誘導)などは最小限で、本物の証言を見る事が出来ます。

効果音は付け過ぎですが‥。



1978年放送 東京大空襲3/4
Yellow Moon氏提供

便宜上、順不同等になっています。見てみて良ければ1/4から順に見ると、気づきもあるかと思います。

1978年放送 東京大空襲2/4
Yellow Moon氏提供



●この憤りをやがて鎭める


さて‥ここまで来ました。

タイトルを思い出してみます。
鎮魂 東京大空襲 一般市民が10万人死亡した無差別爆撃への憤りと赦し』という主題。


その記念日のこの3月、毎年この時期に憤るのは当然ながらしかし、2018年3月からは既に73年。

色々と書きたい事は有る‥が。

日本陸軍は1944年10月10日の那覇空襲の子供や女性をも狙った無差別攻撃から(無論その以前にも)、東京大空襲とそれに続く大阪や名古屋等の大空襲等々をも"国際法規違反の悪逆非人道的行為"として、外務省を通じ"米国政府に何度も々々も抗議"している。

英字新聞で世界にも公表した。

戦後の陸軍への悪評に反し、陸軍は米政府へ何度も強い抗議を行うも、最後の原爆までアメリカに全て無視し続けられた、という。


"JAP"の心胆を寒からしめる為。


Bombing of Tokyo
炭化物はほぼ東京の子供及び女性の亡骸
そしてその体の断片‥
《拡大可》 9-10 March 1945 Tokyo


「おい!!兵隊じゃないんだぞ!!この炭になってしまったのは、幼児や小学生と女なんだぞ!!!」


!! 亞米公ぶち殺してやる!!!


『この仇(かたき)を討ってやるからな!!』 これが8月まで原爆とソ連参戦まで戦争を続ける事に陸軍が固執し、本土決戦一億玉砕を叫び続けていた一因でないでしょうか。無論、国体絶対護持が主因でありますが。

「戦争に勝てない事はわかっている。しかし本土決戦という最後の局地戦を絶対展開して一矢報い、必ずや蹂躙された国民と将兵の仇を取ってやりたい」

主に陸軍のこの様な泥臭さ(多分)が戦前日本を支えていたのでしょうね。そのような陸軍が3月10日陸軍記念日をこの様な蛮行に汚された屈辱も、8月のソ連参戦と長崎被爆まで講和に反対した理由の一つかと。

国民もとても怖かったと思うのですが、終戦まで空襲・機銃掃射・艦砲射撃から逃げ惑いながら本土決戦に備えるしかなかったのだろうと思います。

戦後に聞かされる話と違って、こんなにも一般市民を執拗にや(殺)られて、『仇を取りたい』という気持ちだけは陸軍と国民は心を同じくしていたのでしょう。

不安も一杯だったと思います。が、この硫黄島血戦最終盤から沖繩決戦開始迄の昭和20年3月末日位迄は犠牲者の仇を討とう、と銃後の戦意はまだ高かった。

こういう『かたきをとりたい』という気持ちで、末期のヤバい戦時歌謡を聴くならば、今までの認識とまた違ったものに聞こえてくるものと思われます。

それが(火がともった)戦時下の『心』ではないのでしょうか。



國難に起つ 1945(昭和20)年1月發賣
niponpolydor氏提供



さて、余りにクドいので一旦現代へ戻ります。ここ迄来まして、我等はいかようにすれば良いのか。

いま一度。其の記念日の此の3月、毎年当時期に憤るのは当然ながらしかし、2018年3月から73年も前。

未だに言うべき事は有る‥が。

もう世代が2世代も巡ってしまってからの、73年もの時を経てからの、只今のこの件なのである。

(当時の)敵の首領連は‥、もうとっくに死んでしまっているのであります。


フランクリン・ルーズベルト大統領
ジョージ・マーシャル元帥
ヘンリー・アーノルド大将
カーチス・ルメイ少将
ロバート・マクナマラ中佐
など  (当時の階級

他、スタンダード石油会社
デュポン化学(火薬)会社
建築家アントニン・レイモンド氏
等々


B29の実施部隊等の下級将校や兵はしょうがない。戦時の軍では命令を命懸けで務める他無い為。

罪を憎んで人を憎まずの他無し。


我々はこの米首領連からは三世代も四世代も後、1945年3月10日当時の東京下町で満1歳だった人ももう73歳以上なのでありますから、やはり我等は二世代も三世代も後なのであります。

当事者間でない"子世代孫世代の我々が既に主力となり久しく、無論先方もそういう事である為『第二次世界大戦の蛮行』としてこれを赦(ゆる)すの他無し。


因(ちな)みに当方側としては、店長に連なる祖父がこの時当時の淺草區の浅草橋に在ったものが家屋は当然焼かれ、命はギリで助かったと聞いております。

それはよいとして我等はもう、とうの昔に牙を抜かれてしまっているのであり、そんな錆び付いて折れそうなゴボウ剣でもって73年も経ってから、仇もどうにもこうにもしようもないのであります。


最近、東京大空襲関連のブログ等記事を書く人の中には、73~80年以上も経って真珠湾やら重慶や南京や慰安婦の件を蒸し返して謝罪賠償を要求してくる米中韓に対抗して、それなら東京大空襲の謝罪等をさせるべきだと書いている人もいるようです。

しかし今、色々な思いがあってもアメリカに「おめ謝罪すれ」とか、「いんや謝罪すんねえ」とかの全く見当違いは(厳に)慎まねばならないのであります。





昭和天皇の終戦の御詔勅は、73年の時を飛び越えて2018年の今も、生きているのであります。


◉「爾(なんじ)臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕(ちん)善(よ)ク之(これ)ヲ知ル」
汝(なんじ)ら国民の本心も私はよく理解をしている


◉「堪(た)ヘ難(がた)キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」
堪えがたきを堪えて忍びがたきを忍んで


◉「若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互(たがい)ニ時局ヲ乱(みだ)リ為(ため)ニ大道(たいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム」
もし感情の激するままみだりに事を起こし混乱させ、あるいは同胞を陥れて争い互いに時局を乱して国内を混乱させ、その為に国家の大道を踏み誤って世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒める処である。


堪え難い写真を見て謝罪してもらいたいと思ったとしても、それをぐっと堪え忍び難きを忍んで感情の激するままみだりに行動し、日米間が平和な現在に国の信義を失う様な事は控えよ、と強く戒めておられます。

自分達も変な記事を書き、現代の日米友好を1ミクロンほど曇らせたる事を詫びねばならないです。

🙇ごめんなさい。


爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ なのでありました。





帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及(および)其ノ遺族ニ想(おもい)ヲ致セハ五内(ごだい)為(ため)ニ裂ク
帝国臣民にして戦場において(戦)死したる者、持場たる職場に於いて殉職したる者、思いもかけぬ死に遭いたる者及びその遺族の事に想いを致せば、(私の)身も心も引き裂かれる思いである。


惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス
推測するに今後、帝国(及び帝国臣民)の受けるであろう苦難は言うまでもなく、尋常ではない。


爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ


ナノデアリマス。


73年も経ってもなお、昭和天皇にはすべて御見通しなのです。戦争が終わっても(戦後になっても)なお非命に斃れたる者のいることもすべて天皇には御見通し、というか見ていて下さったのでしょう。

(まさに)拝察するだに畏き極みであり、一億等しく感泣いたしました。 我々臣民は、ただただ、詔書の御旨を必謹誓って、‥。


(敵を)赦すの他ないのであります。

🈡終



そんなん当り前じゃん、とは言わないで


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