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肉弾三勇士/爆弾三勇士

肉彈三勇士



------爆弾三勇士、肉弾三勇士------




(さかのぼ)る事85年昔、
1932(昭和7)年2月22日

廟行鎭(びょうこうちん)
(当時は上海市外北部郊外)
にて、敵機関銃陣地前の
鉄条網を破り突破口を開く為、

現地急造の破壊筒(爆薬筒)
を3名で抱えて鉄条網有刺鉄線に
挺身肉薄、至近距離の
敵塹壕から機関銃の
猛射を浴び負傷せるも

決死隊の為更に挺進(ていしん)
鉄条網有刺鉄線を爆破、
任務完遂、破壊筒の爆発により
壯烈戰死せり。


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一説に日本陸軍最強と云われ、
十八番(おはこ)ナンバーを
冠する後の菊兵団の軍都久留米。


ここで臨時編成された工兵大隊、
独立工兵第18大隊。

北部九州で徴兵され入営した
兵隊さんだったんですね。


三人とも一等兵という事で、
恐らく「男21、徴兵検査!」

で21歳で徴兵検査甲種合格
されて、二等兵として久留米で

新兵教育の後、一等兵に昇進
したと思ったらすぐに

上海事変(第一次)が起きて

前述工兵大隊工兵として
佐世保港から上海租界附近に
出征されたんでしょうね。

三勇士とも21、2の若い命を
散らされたようです。



これより下のページ、
何故か三勇士の上司の
伍長が気になって、先に
その人の事を書き、最後に
ちょっと三勇士に思う事を
書いています。




---第一次上海事変---

ちゃんとした戦争と違い、
事変で短期に決戦せねば
ならない上に共同租界の
目の前で、被害を軽微に
とどめなければならないし、

相当に慎重に戦闘せねば
ならなく、かなり緊張を
強いられた模様。




---1930年代以降
何故暴支膺懲といわれた?---
(ぼうしようちょう)

約束不履行、(現地在住一般の
日本人)居留民を中国の
暴徒暴民(恐らく組織された
ゲリラ)が集団で襲撃し

下劣醜悪な見るに堪えぬ
方法で虐殺された
数々のテロ事件、

果ては軍人(主に海軍将兵)
までもが惨殺される事件が、

何回も何回も発生して、


全日本人の怒りが極点に達し


1920年代から1930年代の
日本は、中華民国(当時)に
対して、
「怒髪天を衝く」

そんな国内情勢だった。



伊勢神宮三勇士の図




最初は弾の雨あられの激戦中に、
という感じではなかったらしい


決死的行動の前日に

塹壕と有刺鉄線の
敵の機関銃陣地を見て

部隊長以下、翌日の作戦
をシミュレートした上で

翌2月22日未明に

煙幕を張ってから
夜襲のように破壊筒を抱えた
工兵決死隊が挺進肉薄、

有刺鉄線前に取り付き破壊筒で
鉄条網を爆破、突撃準備して
後方に控えている歩兵本隊が
敵機関銃陣地に突入する

廟行鎭を占拠せり

この様な流れで進めたようだ。



上海租界附近という事、
(列強への影響に配慮)

我慢忍耐を重ねた上での
限定的短期戦闘、


縛りが多く、現場は特に
やりにくかったろうと思う。
最大効率を求められ
(あせ)りもあったろう。



---三勇士と班長---



一等兵にとって、
21、2歳の若者にとって

把握出来るのはなんとか
中隊長(大尉が多い)までだろう。

それ以上は雲の上の存在、
現実的でない敬礼のみの関係。



三勇士の直近の上司である
工兵分隊の班長は伍長との事で

恐らく25歳前後、最も血気
盛んで上からの命令の実現に
忠実だっただろう。


伍長は三勇士を怒号で
突入させ、任務は成功したが
三勇士を戦死させてしまった
事を自身が数年後に戦死する
まで自責していたらしい。

そして近年、自責の感を
書き留めた伍長直筆のメモが
見つかったらしい。

この日より4、5年後に
戦死されたらしいから、
戦後変節組などではないようだ。


何か感じ入るものがあった。


私たちがどうにも引っ掛かりを
取って、過去のものとして
忘却する事が出来ない時代。

超重要な時代だからだろう。


忘れられないならば
ちょっとだけ
思い起こしてみよう。


戦線とは
伍長の心理は


1932年2月のその現場を
その頃の心理のつもりで
勝手に想像してみよう。


とてつもない重圧が浮かんでくる
兵個人と国家がつながっている
とてつもない重圧が‥



工兵部隊は最前線で、
主力である歩兵部隊の露払い役
となって前進の障害を迅速に
取り除く任務も多々ある。


戦線不拡大方針の短期
局地的戦闘で、一発で十分な
戦果を挙げねばならない。


陛下も注視されている

列強も見ている、威信に関わる


失敗が許されない、超効率的
最小攻撃で最大の戦果を期待


敵の陣地が乃木将軍以来「鬼門」
の機関銃陣地だった


夜明け前の夜襲の形で
煙幕を焚(た)いてにじり寄った
にもかかわらず風で煙が流れて

先に突入した工兵班が敵にばれて
猛射され多数やられてしまった事

その後に続いて突入させたので
隠密にならず強行突入
しかし‥絶対に一発必中

先に突入した班の失敗を見て、
曹長や、小隊長中隊長の
強い発破がけもあっただろう

花形兵科の歩兵部隊が
後ろで突撃を今かと

待っている‥
花形を待たせている‥


恐ろしい程(ほど)

重圧が‥



工兵大隊長が、歩兵中隊長、
同大隊長が‥
上海派遣混成旅団長が‥
海軍陸戦隊長が‥

上海派遣軍司令部が、
東京の陸軍中央が‥

日本帝国政府が‥ 国民が‥

大元帥陛下が‥‥


在上海列(強)国の目が‥‥


なんだこの圧倒的な
レベルが高すぎる
無理ゲーの重圧は‥



みんな‥が‥待っている‥



平時の私たちなどが
及びもつかない

千切れる程の
重圧が‥‥‥




伍長は

絶対に、必ず、死んでも
一発必中を
頼むぞ と

三勇士を送り出した

と思う。


途中で撃たれても倒れても
怒号をもってして
絶対に
鉄条網を
爆破成功
突破口を

開かねばならなかった

と思う。


祈るように
頼むぞ と。

先述したが
伍長は班員である三勇士を
死なせた自責をずっと持って
いたらしい。自責の念を記した
直筆のメモ書きも地元佐賀で
発見されたらしい。


その日以降、もしかしたら
毎日死に場所を得るように
大陸を転戦していた
のかも知れない。

自分が命令した部下たちが
もはや神にも近い存在に
なってしまって、自分も
もう生きてはおられぬ、、、


俺も 征(逝)くぞ、 と。


その日より4年か5年の後に
伍長は、同じく中国大陸で
戦死されたらしい。


その責任感、
部下を思う暖かな人間性、
班長の立場として立派だ


最底辺の兵としては

こういう班長の下で
立派に戦って
死にたい


そう思うだろう
と思った。


内田徳次伍長という。
佐賀の人らしい。


肉彈三勇士近影


爆彈三勇士近影


三勇士 大阪朝日新聞より



---三勇士は---
壯烈なる戰死後、


皇道派荒木陸軍大臣と
朝日新聞を始めとする
報道機関によって

一兵卒が軍神ともいうべき待遇で
内地に還った


三人とも二階級特進
陸軍伍長となる

国民は決死的行為に感動し
一躍有名となり

映画になった
メーカーの広告になった
作曲家によりレコードになった
歌舞伎浪曲文楽童謡になった
漫画、菓子のおまけになった
子供の着物の柄になった

子供が三勇士ごっこに
夢中になった
教科書に載った
運動会競技になった
東京や久留米で銅像になった

三勇士の遺族宛の
恤兵金(献金寄付金)は
陸軍始まって以来の
巨額が集まった

各新聞社への遺族宛弔慰金も
それぞれ巨額が集まった

三勇士の母は陸軍省へ靖国神社へ
招待され、荒木陸軍大臣から
表彰され弔慰金を受領し、
それから映画を鑑賞し観劇し、
記者の取材を受け‥。


‥‥‥‥‥ 。


‥‥‥‥‥ 。

話がつながらなくなってきた‥


鉄条網を爆破し突破口を開けと
いわれているのにあさっての
あちゃらの方向で爆発したなら
事故だけれども、三勇士は
兵隊として任務を立派に
遂げられ勝利の突破口をちゃんと
開いている事。

特攻ではないんだから
三勇士の決死的任務が志願か
命令かという事よりも、

そして

新聞が加熱して報道した事を
きっかけにしてはいるけれども
何よりも三勇士の
決死的行動自体と、爆死という
悲劇、しかし立派に任務を達成
して勝ちに導いたその事実に
国民が篤く感動したからこそ、
上記の一大ムーブメントが
起こったのだという事

決死隊を志願して爆薬を
体に巻き付け、鉄条網に突入
自爆したとの初期報道は、
混乱期以降は誰もそう思って
いない事。銅像もちゃんと
破壊筒を抱えて走っている事。


遺族にとって、国を挙げての
上記一連のおせっかいは、
名誉なのか、迷惑なのか。

隠れて息子の為に泣く時間は
あったのか無かったのか‥



終りに、三人の勇士に帽子を
取りて深く敬礼し、
今回記事に書かせていただき
深く感謝するものであります。



絵葉書 久留米名勝 三勇士銅像

久留米名勝 三勇士銅像(現存せず)





















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悪しからず
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